音楽教師から敵視されたメロディの教育化 : 「東京音頭」から「建国音頭」へ
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概要
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本稿は、大衆文化の教育化という問題を、昭和戦前期における中山晋平作曲の流行歌=「晋平節」=晋平流の四七抜き五音短音階(ラ・シ・ド・ミ・ファ)の曲を素材に考察した。これまで日本教育史研究で音楽といえば唱歌であり、多くの蓄積がある。唱歌が創出する「日本」や「国家」という風景=学校的知識=学校文化を国民統合の装置として論じてきた従来の研究に対して本稿は、晋平節という大衆文化の教育化過程から、実はそうした学校文化が充分に機能していなかったことを示唆した。音楽の領域では、学校文化は大衆文化の人気に圧倒され、その担い手である音楽教師は機能不全の危機感に苛まれていたのである。そうした状況下に教育化した晋平節は、国策から学校文化の手の届かない部分の国民化を担わされたに過ぎなかった。本来晋平が構想していた、日常に疲れた大衆が晋平節を通し自然に明日への活力を得る、という教育の可能性は、戦前期社会教育の文脈では実現していない。
- 日本教育学会の論文
- 2007-03-30