祭式におけるラクシャスについての一考察 : TS 6.1.8.4; 6.2.10.2; 6.3.9.2
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概要
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ヴェーダ祭式において,ラクシャスは祭式や神々に敵対し,絶えず祭式を破壊しようと企て,最終的に祭主や祭官によって排除される存在である.特に黒ヤジュルヴェーダ・サンヒターではしばしばその様な記述に出会うが,ではラクシャスとはいかなるものかというと甚だあいまいである.その実体にせまる為,まずラクシャスに等置或いは言い換えられている語を抽出した.それにより,ラクシャスは主に黒ヤジュルヴェーダ・サンヒターにおいてはaratayas(敵意達)やamatayas(無思慮達)といった感情と関わるということが明らかになったが,その結びつきは弱いものであった.その中で,(1)Taittiriya Samhita(TS)6.1.8.4(2)6.2.10.2(3)6.3.9.2は,yo 'sman dvesti yam ca vayam dvisma(我々を憎む者と我々が憎む者)とラクシャスを結び付けているという点においてより具体的であった.それ故,本論文ではこれら3箇所に焦点を当て,その中に取り上げられているマントラとの関係を検討した.次に,これら3箇所に対応する他のテキストとの比較を行い,最後にyo 'sman dvesti yam ca vayam dvismaというマントラを含む他の箇所を概観した.その結果,次の2点が導き出された.1.TSの3箇所では,本来2つであるマントラが1つであるかの様に見なされ,ラクシャスはyo 'sman dvesti yam ca vayam dvismaと同一視されたが,他のテキストにはこの様な解釈は見られなかった.2.TS 6.3.2.1-2は,本来1つのマントラを2つに分け,ラクシャス達を憎しみ達と等置している.以上の点から,ラクシャスと否定的な感情があいまいに結び付けられている黒ヤジュルヴェーダ・サンヒターにおいて,ラクシャス達と憎み合う関係にある人間或いは憎しみとを同一視しようとするTSは特異な立場を打ち出していると言えよう.
- 2007-03-25