当事者の共同体、権力、市民の公共空間 : 流用論の新しい階梯と沖縄基地問題
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概要
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本稿は、名護市辺野古を中心に筆者が行なってきたフィールドワークを基に、社会運動・抵抗研究の今日的な理論的枠組み-とりわけ「流用」(appropriation)論-を批判的に展開することを通じて、1995年秋の水兵による少女暴行事件後、大きな盛り上がりを見せた沖縄の基地反対運動がなぜ退潮を余儀無くされたのかを考察する。流用の概念は、社会的弱者が他者(特に権力)の文化要素を自らの文脈において別の意味で用いる過程の記述を可能にし、彼らの微細な抵抗やしたたかな主体性の分析に貢献してきた。だがその反面、流用論は、多様で異質な運動・抵抗を当事者(我々)と権力(あなた)の間の脱構築や転倒の「ゲーム」に還元し、閉域化・均質化された二者空間で「我々」の主体性や抵抗実践のみならず、「あなた」の自己増殖を助けてしまう危うさも併せ持つ。本稿では名護・辺野古の基地誘致派の運動を取り上げて、このような流用論の問題点を考える。同時に、本稿は「第三の人間」としての沖縄市民の視点を導入し、彼らが復帰後沖縄の豊かさを流用しながら基地問題に対する様々なパースペクティブが交渉・衝突する公共空間を構築する-そしてそれを最終的には瓦解させる-過程を明らかにする。一言で言えば、流用論を「我々とあなたの物語」を超えた次元にまで昇華させ、当事者の共同体、権力、市民の公共空間の間の複雑な三者関係の政治学を考察することが本稿の主題である。結論部では公共空間再構築のためのラディカルな流用の可能性も検討する。
- 日本文化人類学会の論文
- 2004-03-31