空白を埋める : 普通学級就学運動における「障害」をめぐる生き方の生成
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概要
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障害/障害者についての社会学的研究は、障害の社会構築論をパラダイムとしてなされてきた。それによれば、近代特有の産業形態や、医療・教育制度のフィルターを通る中で、特定の精神的、身体的特質をもつ人間を表象する「障害者」というカテゴリーが生まれ、各個人にそのカテゴリーが内面化されるものと整理される。社会構築論の戦略的意味は、医療モデルや専門家支配を批判する点で評価に値する。しかしミクロな実践に眼を転じてみれば、「障害者」というカテゴリーの意味が微妙に、特に劇的に変化する事態に出会うだろう。極めて複雑に分化した現代社会において、現象の説明をマクロな社会構造の議論を帰着させるよりも、むしろ個々の状況において、「障害」の存在をめぐって不確実性に直面する諸主体が、生き方を如何に構成するのか、その問題系を開くことに人類学的分析は活かされる。このような認識に立った上で、本論文では「障害児」の普通学級就学という問題に焦点を当てる。日本では、「障害児」と「非-障害児」の教育の場を分ける「分離別学体制」が教育制度の基本になっている。しかし、実際の多くの「障害児」が普通学級に在籍している。政策的な位置づけのない彼ら「障害児」の存在は、現場で様々な混乱を引き起こすことになる。本論文では、この不確実な状況において、「障害児」とその保護者、民間支援グループ、教育関係者、行政関係者の間で起こる折衝を学習の過程と捉え、政策のレベルで一元的に同定された「障害児」というカテゴリーが、「障害児も普通学級へ」という主題の下、実践のレベルでどのように反復、模倣、受容されているのかを分析する。
- 日本文化人類学会の論文
- 2005-12-31
著者
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