1897年センサスにみる19世紀末のベラルーシ・リトアニア地域のユダヤ人の経済状況
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概要
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ロシア帝国では、19世紀末から20世紀初頭にかけてポグロム[=ユダヤ人に対する虐殺や破壊活動]が多発した。しかし帝国北西部にあたるベラルーシ・リトアニア地域では、ポグロムはほとんど発生しなかった。本稿は、ベラルーシ・リトアニア地域のユダヤ人社会を、同時期にポグロムが多発した左岸ウクライナ地域や新ロシア地域との比較を念頭に置きつつ、社会経済史的アプローチから分析したものである。主な史料として、1897年に行われた国勢調査[以下、1897年センサスと略記]を使用した。第1章では、母語別の人口調査をもとに、ベラルーシ・リトアニア地域におけるユダヤ人の都市化、さらには人口動態について分析した。この地域では、ユダヤ人の約40%が都市部に、約40%がメスチェチコに、残りの約20%が農村部に住んでいた。都市部では、ユダヤ人は多数派であった。他方郡部では、ユダヤ人は少数派であった。ただし郡部のなかでもメスチェチコでは、ユダヤ人が多数を占めるところがほとんどであった。第2章では、ベラルーシ・リトアニア地域のユダヤ人の職業構成について分析した。都市部では、6県すべてで「製造業」に従事するユダヤ人が最も多く、次いで「商業」従事者が多かった。郡部でも、ヴィテプスク県を除く5県では「製造業」に従事するユダヤ人が最も多く、次いで「商業」の順となった。ところが全職業構成比に占めるユダヤ人の比率をみると、ベラルーシ・リトアニア地域において都市部、郡部ともにユダヤ人の独占状態にあったのは「商業」であった。特に居酒屋にいたっては、酒取引の全面的な国家独占が導入されはじめた1895年以降もユダヤ人の独占状態が続いていた。以上で述べた点は、定住地域[=ロシア帝国内のユダヤ人強制居住地域]にあって、ベラルーシ・リトアニア地域の特徴をなすものである。そしてこの特徴から、18世紀末にポーランド分割によってロシア帝国に併合されたこの地域では、ポーランド王国時代に形成されたユダヤ人と非ユダヤ人とのあいだの「社会経済的共生関係」が少なくとも19世紀末まで保たれていたと推測することができる。今後、本稿の分析をもとに、帝政ロシアのユダヤ人問題、特にポグロムの問題についてさらに深く追究していく。
- 2004-03-22