宮沢賢治作品の野火と山火 : イーハトヴの草原景観をつくった火入れと三年輪採
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概要
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宮沢賢治(以下賢治と記す)は作品の中に、3つの山野の「火」を措いた。1つは主として草地に火が入れられる野火(prescribed fire or burning)である。野火の燃える描写は短歌や詩、童話「楢ノ木大学士の野宿」などにみられる。当時の岩手県、とくに北上山地には広大な採草地や放牧地が広がっていたが、この草地の重要な維持管理手法が火入れであった。童話「風の又三郎」はそのような草地を舞台としている。そこに登場したクリの樹幹は、同じ方向から繰り返し焼かれることによって、片側が著しく損傷している。この描写は、火入れ時の延焼動態(fire behavior)を表している。2つは、草地や焼畑の火入れから延焼したり、山作業時の不注意から出火したりして主として森林が燃える森林火災の山火(wild fire)である。詩「山火」や童話「よだかの星」などにみられ、山火も春期に多発したことが、作品から読み取ることができる。3つは、焼畑の火である。しかしながら、当時の岩手県で広く行われていた焼畑について、賢治はほとんど関心を払わず、わずかに文語詩の1篇に「焼畑」の語がみられる。盛岡高等農林学校において、賢治が学んだ当時の農学や生物学は、草地の生産と土壌の肥沃度や表層の安定にとって、このような草地への火入れが、負の効果しかもたないことを明らかにし始めていた。しかしながら、賢治が詩のなかで用いた造語「三年輪採」を発想した動機は、この科学的研究成果をうけて、連年の火入れを戒め、3年間隔の火入れを農民に推奨することにはなかった。「三年輪採」に相当する草地管理の起源は、藩政時代にあり、藩有林を火災から守りたい領主(為政者)と肥料や飼料を確保したい農民との間に結ばれた協定にあった。連年の火入れが草地の衰退の原因になることを領主と領民が理解していたことも、この協定の背景にある。そして、岩手県の各地で行われた3年間隔の草地への火入れを、古くからの春の風物詩であると賢治は捉えていた。
- 2006-03-01
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