昌平校における歴史教育の研究
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概要
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昌平校の学科目の中で歴史を専攻にした学科と,他の教科で歴史書を用いているものまで漁り,使用した教科書も推測も加えて記したが,全体を通観するとつぎのことがいえると思う。(イ)教科の主座は終始経学科であって,歴史科は脇役であった。この原因は,近世儒者は経学専攻で経学の原理の実証的反省の資料として歴史をみておった。(ロ)儒者出身でもよいが歴史を専攻する学者が昌平校には在任しなかった。(ハ)儒者は中国崇拝者が多いので,勢い中国の歴史書の左伝・国語・史記・漢書・通鑑綱目を基本として終始変えなかったが,日本の史書は誠に微々たるものであった。(ニ)歴史の解釈は朱子の綱目史観を墨守した。とくに松平定信が朱子学を正学として昌平校に持ちこんでから一層この史観一辺倒にならざるを得なかった。(ホ)昌平校が幕府立であるために学問統制も甘受しなければならず,時流に応じた改正も行ないえなかった。安政期に申訳け的に時代遅れの本朝史科をおいたので明らかである。注,歴史科その他の教科で使用された中国と日本の史書について,書物の傾向を紹介すべきであったがこの小稿では割愛をした。昌平校の歴史教授法はつぎの諸点が特色である。(イ)歴史科の教授方式は,主として講釈がよいが,外に会読・独看の方法も有効であること。(ロ)歴史教授は,訓話的でなく大意を読みとり,朱子流の鑑戒の書として理解すること。(ハ)朱子の歴史観の眼目は通鑑網目にあるので,これを精読することが大切であること。(ニ)基本的な歴史書を読む外に,多くの史書を博く読むことによって,文章力の訓練に役立つこと。(ホ)史論会によって史眼を養成すること。
- 1964-12-19
著者
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