幼児教育に於ける言葉と音楽そしてコダーイシステムについて
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概要
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弦楽器やピアノ曲を、譜面に書かれてある通りに、正しく演奏されていたとしても、そこに歌心が伴わなければ音楽にはならない。機械的に演奏されては、そこに心が入り込む余地は全くない。同じ曲でも指揮者が変われば音楽も変わる。四拍子の曲であるのなら、予備の拍から、頭の一拍、二拍、三拍とそれぞれに指揮棒が下に下りるのと同時に加速されて跳ねる。匹拍目で上方に大きく手は持ち上げられるので当然減速する。それは、自然な動きから生じる緩急が望ましい。限られた時間の中での微妙な感覚表現の差が、聞き手によって受け入れられたり、拒否反応が出たりもする。歌心のある音楽は言葉同様に、対人間の大事なコミュニケーションの手段として大きく作用する。発信されたメッセージをどのように自分の世界に取り入れていくか。また、逆にどのように発信するか。次代を担う若者たちの人生を、より豊かにするためには、幼児期から計算された音楽教育が為されなければならない。日本では滝廉太郎、山田耕筰、團伊久磨氏等の作曲家が、北原白秋、サトウハチロウ、まどみちお氏等の詩を受けて、童謡、唱歌がたくさん産み出されたが、現在の幼児音楽教育では、それらの曲を系統立てて活かしきれていない。ピアノの音に頼らず、正しい発声法を学び、豊かな声作りをし、現場で通用する指導法を学ぶべきである。本研究では、それらを踏まえて、ハンガリーのゾルタン。コダーイの残した音楽教育論を取り上げ、持論を交えて幼児教育における音楽教育論について述べる。なお、本稿で用いた文献はすべて原著であり、本文中の日本語訳は笹嶋による。