近代の認識形式としての視覚優位性 : 視覚と空間・主体/客体・知・表象を中心として
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概要
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それにしても,地球化を語る上で,注意しておかなければならない点がある。それは,人種,民族,国民を歴史的に不変の単位としてあらかじめ想定する習癖である。この習癖に従うと,世界は「地方的(ローカル)」で永続的な人種や民族,国民といった特殊な同一性と「地球的(グローバル)」で絶えず変化する普遍的な国際的動向とに二極化され,地球化は国民の「外から」やって来ることになるだろう。地球化に反対するためには,国民の内側にたてこもり,「外から」やってくる地球化の波をいかに防ぎ止めるかという図式から発想することになり,地球化を批判的に倹討することは,不可避的に,国民主義擁護となってしまう。(論壇:「地球化」と国民幻想の逆説21世紀の入り口で2,酒井直樹,朝日新聞,2001年1月3日)人間が得る外部の情報の95パーセント以上が視覚によるものだといわれています。そのことを裏付ける文化がこの300年かけて築かれてきたのだといえます。これは,単に一生物の情報受容ということだけでなく,ヴィジュアルを利用した政治から文化にいたる「制度」の大問題でもありました。その制度基盤を端的に「近代」と呼ぶことができるように思います。(『表象の芸術工学』高山宏,55ページ,2002年)
- 2005-03-25
著者
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