八幡新田宮領・五大院領における支配機構
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概要
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本稿では,薩摩国一宮制研究の一環として,蒙古襲来を契機に薩摩国一宮となるハ幡新田宮及び同宿と深い関係を有す五大院の宮領・院領における支配機構とその形成過程を分析した。その結果八幡新田宮領・五大院領が一定度形成された時点で,宮領・院領を支配する目的で八幡新田宮政所・五大院政所が各々置かれて,両政所は宮領・院領に対して勧農権・検注権・徴税権等の支配権を有していた事が判明した。鎌倉初期惟宗氏は,八幡新田宮執印・五大院院主職に補任された。新たに八幡新田宮・五大院と関係を持った惟宗氏は,八幡新田宮公文所を新設し,八幡新田宮・五大院の掌握を意図した。惟宗氏は執印の地位を背景に八幡新田宮政所を支配下に置いた。また公文所を拠所として,それまで五大院政所載として五大院領を実質的に支配していた八幡新田官権執印の権限を侵害していった。その結果鎌倉末期には,執印惟宗氏の五大院領に対する支配権は大幅に拡大した。
- 2005-03-25