国際社会へのカナダの視点と関わり : イギリスとパレスチナ分割1946-1948年
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概要
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第二次世界大戦で、カナダは「母国」イギリスとの政治的・文化的関係を再び深め、国際的な視野を広げた。そして、より広い国際視野を持ったカナダは、争点の多いパレスチナ問題で調停者としての役割を担うこととなった。この新しい国際的な視野は、イギリスから受け継いだ明確なリベラル・デモクラシーの伝統を強化する一方で、カナダの外交政策をイギリスの姿勢や政策と一線を画すものとした。イギリスがパレスチナの委任統治権を放棄した時期は、中東政策の分岐点であり、またイギリスの外交故策の転機でもあった。以前重要視していた地域からイギリスが手を引くにつれ、カナダは国際社会との関わりを増していった。パレスチナはゼロ・サム・ゲームの見本となった。イギリスはパレスチナから撤退せざるをえず、それが大国としての地位にマイナスの影響を与えたが、カナダにとってはそれが好機となり、利益をもたらした。国連でのイギリスの外交イメージに傷がつく一方で、カナダの優れた調停役としての、また、有用なミドルパワー(中規模国)としてのイメージが向上することとなった。イギリスが外交的・政治的に運に見放された時、カナダはより重要な国際的役割を果たす機会を得たのだった。パレスチナ問題が国際的な注目を集めるのと時を同じくして、「ピアソンの国際主義」が成果を上げ、マッケンジー・キングの政治的力は衰え、引退していった。パレスチナ問題が国連で重要視されるようになると、カナダは否応なく巻き込まれることとなった。カナダはパレスチナ危機の間に独自の政策を進め、皮肉にも、パレスチナ問題という適切な解決策が見つからない問題があったからこそ、利益を得ることができたのである。
- 2006-03-31
著者
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Thornton Martin
Senior Lecturer in International History and Politics, University of Leeds
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Thornton Martin
Senior Lecturer In International History And Politics University Of Leeds