エジプトの最初の鉄道
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概要
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エジプト最初の鉄道(アレキサンドリアーカイロースエズ)の建設をめぐる不明確な諸点のうち、以下四点について各種資料の検討を通じて、より明確な観点を提示したい。(1)ムハンマド・アリの関与。ムハンマド・アリは1834年にカイロースエズ鉄道を建設しようと計画し、レールなど資材の一部をイギリスから購入し、アレクサンドリアまで運んだものの、計画の中止に追い込まれて、以後鉄道建設には慎重となり、結局鉄道の建設を果たさなかったというのが従来の定説である。実際にはムハンマド・アリは1843年と1844年にもカイロースエズ鉄道を建設しようと試み、この間計3回も着工を試みたことが事実のようである。しかし、そのいずれの場合も、彼を取り巻く当時の国際関係などのため計画の中止に追い込まれた。(2)アレキサンドリアーカイロ鉄道建設計画内容の変更。1851年7月、アッバスとイギリスの鉄道王、ロバート・ステフンソンの間で結ばれたアレキサンドリアーカイロ鉄道建設契約の内容には、その後いくつかの変更が加えられ、本論文では変更の内容の特定化と詳細化に努めた。主な変更は、鉄道ルートの変更、ナイル川西支流のカフル・アル=ザイヤートにいったん建設された蒸気フェリーを間もなく鉄橋に架け替えたことおよびルートの一部で必要性が疑われる複線化のための工事がなされたことであった。そのため、工期の遅延や建設費の増大が生じた。(3)土地税(ミリ)増収効果。エジプト最初の鉄道が建設された頃はエジプトの歳入や税収の増大が必要な時期であった。本論文では、その頃の土地税の推移を示す表をまとめた。その表の示すことは、短期的に見る限り、鉄道が建設されたデルタにおける土地税(ミリ)の増収効果には顕著なものがなかったということである。(4)カイロースエズ鉄道の廃業。1859年に開通したカイロースエズ鉄道は、競合するスエズ運河が1869年に開通した後廃業に追い込まれたことは周知の事実であり、簡潔に述べようとする場合、このように表現しても間違いではなかろう。しかし、廃業に至る経緯は単純なものではなかったことを本論文は示した。建設されたカイロースエズ鉄道には計画段階から難点が指摘されており、この路線よりも時間節約が可能なバヌハーザカーズイクーイスマイリーヤースエズ間の鉄道支線が1868年に開通すると、一刻を争う郵便物の廻送は、スエズ運河の開通以前からカイロースエズ鉄道を見限ってこの支線を利用するようになっていた。また、スエズ運河は開通後しばらくの間夜間航行が禁止されており、その間はこの鉄道支線による郵便物と貨客の廻送はかろうじてスエズ運河に対抗しえていたものの、1888年に夜間航行が解禁されると、鉄道支線の利用は停止され、全面的にスエズ運河が利用されるようになった。
- 2003-02-28