自動記述における文学的形式の使用 : アンドレ・ブルトン『溶ける魚』について
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概要
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アンドレ・ブルトンは、生涯にわたって言語についての探求を続けた。彼の重要概念の一つである自動記述も、無意識の言葉による伝達ではなく、言葉の力自体に重点が置かれるものである。実際、この方法によって書かれたテキストにおいて意外な展開を導いているのは言葉の音的な類似性(言葉遊び)である。また、自動記述作品の重要性は、作者や作品ごとの個別的特徴によるところが大きい。しかしこのことは、意識的な操作を排除するはずの自動記述の定義と矛盾する。ここでは、『溶ける魚』を取り上げ、自動記述において設定された形式が、どのようにしてその目的と合致するかについて考察したい。『溶ける魚』は小話の形式をとっており、とりわけおとぎ話のジャンルを参照している。しかしテキストは教訓へと還元されることはない。形式の逸脱は、期待される展開に従い一般的に受け入れられた現実を繰り返すことの拒否を示す。一方で、小話の形式は積極的な形でも活用されている。言葉遊びによる展開は、おとぎ話の枠組みに入ることによって驚異的なものとして提示される。ブルトンの作品全体において、おとぎ話への参照はしばしば世界の様相の多幸的な変化を伴う。この形式は、自らが持つ驚異的な力で言葉を解き放つ役割を持っている。ブルトンが文学形式を批判するのは、作者の独創性を重視するためだけではなく、従来の視点を無批判に保存するからである。シュルレアリストたちはしばしば、形式を使いつつ、それが持つ力を使って本来の結論を逆転させている。『溶ける魚』においても、おとぎ話の驚異的な力によって解き放たれた言葉は、教訓を語る役割を放棄している。その結果、おとぎ話は既知のものに回収されるのではなく、未来へ向かって開かれ、いつか意味を担う可能性を持つものとなる。このように、形式は、思考の再生産ではなく、未知のものを呼び出す役割を持つ。ブルトンは、自明のものとみなされた現実を言葉によってなぞるのではなく、逆に言葉によって現実を変えようとする。その変化を、全く新しいものを創造することによってではなく、見方を変えることによって引き起こすために、形式は必要だったのである。
- 学習院大学の論文
著者
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