銀行店舗行政の変遷
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概要
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戦後の歴史において、銀行店舗とそれを動かした銀行店舗行政(大蔵省銀行局による)はいかなるものであったか。本稿では、戦時中の昭和13(1938)年から、大蔵省銀行局がまだ残存しており、巨大銀行が出現する前年の平成7(1995)年までを論述の対象とした。銀行は店舗数が多ければ、預金量も増え、利益も大きくなる。「規模の利益」が働いて、預金吸収力の面で有利となり、業容は一層拡大する。したがって銀行にとっては店舗を一カ店でも多く、しかもいかに効率的に配置していくかという「店舗戦略」が肝要となった。大雑把に言って、平成初期のバブル崩壊以前は、出店すれば常にある程度の収益が確実視され、とりわけ首都圏の出店増に拍車がかかった。文中の銀行名は当時のままとした。合併により往時を偲ぶべくもない名称となった銀行もある。富士・第一勧銀⇒みずほ、三和・東海⇒UFJのように。なお本文中の各章において、元号が昭和、平成のときは冒頭を除き省略した。
- 2004-03-25