ユージン・オニール作一幕劇『ヒューイ』における劇構造 : 最終場面に「救い」はあるのか
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概要
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Eugene O'Neillの一幕物Hughieは上演に50分もかからないであろう短い劇である。しかし、1964年、Jose Quintero演出においては「一晩用の出し物」として上演された。 V. Floydも「思いやりを示せば人は人の救いとなり得る」と定義し、HhughieをO'Neillの「楽天的方向性を示す劇」として位置づけた。それではその前後に書かれ、「背後の力」によって行き詰まった人間の姿を描いた二大作The Iceman ComethとLong Day's Journey into Nightとは全くその本質が異なっているのであろうか。O'NeillはHughieをBy Way of Obitと名付けた一幕物シリーズに入れる予定であった。G. J. Nathanに宛てた手紙の中で、その各一幕物には「最近死んだ者について語る者」「その話にただ耳を傾ける者」を舞台に登場させ、ひいては「最近死んだ者」を含めその三人の人間像を浮き彫りにすることが、このシリーズのテーマであると語っている。 O'NeillがHughieの登場人物にそれらの役割を持たせ、その演劇構造を用い描こうとしたものが、最終場面で「救い」を示す「楽天的方向性を示す劇」であるのかを、J. Gassnerの「オ二ールが40年遅く活動を始めていたら『不条理演劇』の劇作家になっていたであろう」という見解を指針とし、考察していく。
著者
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