日本における英語教育と日本人のコミュニケーション能力について
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概要
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日本における英語教育は、英語を通して欧米文化に馴染むことから、英語を使って外国人とコミュニケーションがとれるようにする方向に、1970年代に、その目標を根本的に転換した。以来約30年が経過したが、その結果は満足するものではない。2002年、小泉内閣は、「英語が使える日本人」を育成するための行動計画を発表して、英語を使って国際的に活躍できる日本人を育成することに、国を挙げて邁進することにした。この論文では、このような文脈の中で、(1)「コミュニケーションとはどのようなものか、どのように実現されているか。」(2)「英語によるコミュニケーションとは、どのようになされているか、どのように実現されているか。」(3)「広い意味でのコミュニケーションと狭い意味での言語によるコミュニケーションはどこが違うか。」(4)「日本の学校において、狭い意味での言語教育にとらわれず、もっと広い意味でのコミュニケーションの能力を養成をするためには何をどのようにすべきか。」を検討した。広い意味でのコミュニケーションは、五感すべてをバランスよく使って実現されるものである。狭い範囲の英語使用の学習だけでは、広い意味でのコミュニケーション能力は養成されない。そのためには、英語学習の教室では、英語についての説明の多い授業は止め、広い意味でのコミュニケーション能力の養成、すなわち、学習者が英語使用者としての生活体験を増やす英語教育に転換する必要がある。
- 宇都宮大学の論文
- 2004-03-01
宇都宮大学 | 論文
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