古志田東木簡からみた古代の農業労働力編成
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概要
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米沢市の古志田東遺跡出土の労働力徴発に関わる二点の木簡を検討し、平安時代 (九世紀末から一〇世紀初頭) の地方社会における農業労働力編成のあり方を考察する。「田人」と記され、男女の労働力を徴発した二号木簡は、従来の史料を手がかりにすると田植労働に関わるものと考えられ、田楽の儀礼をともなった田植労働が広く行われていた実態がうかがえる。これに対して男性の労働力のみを徴発した三号木簡は、灌漑施設や土木作業に関わるものと考えられる。こうした二種の労働力徴発の形態は後の大名田堵の農業経営につながる要素をもつ一方、田植労働に関しては古代以来の「魚酒」提供による雇傭労働の形態がとられていたと考えられる。古志田東遺跡からは古代から中世にいたる過渡期的な様相を見てとることができるのである。
- 山形県立米沢女子短期大学の論文
- 2001-12-28