方法としての習慣
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概要
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18世紀後半から19世紀前半にかけてのフランスの哲学者、生理学者たちの課題の一つは、人間が行う「生命的活動」と「精神的活動」との割り振りをいかに行うか、また両者の関係をいかに理解するかにあったといえる。生理学の発展によって、「精神」と「物質」という伝統的な秩序の間を占める新たな秩序として「生命」が立ち上がった時期において、カバニス、あるいはビシャといった生理学者たちは、コンディヤックの感覚論を受けつつ、生命現象の秩序を通じて思惟の現象を理解するという道筋を経て、思惟の現象を理解しようとした。これは、生理学において対象的な形で取り出された概念図式を、思惟の理解のためにアナロジカルに転用したものと言える。他方、メーヌ・ド・ビランは、コンディヤックやカバニスの思想を受け継ぎつつ、「生命」と「思惟」との関係性を論じる道筋を、別途に開発しようとした。その道筋とは、両者に共通する現象である「習慣」を媒介とすることで、「生命」と「思惟」とに共通する特徴を見出しつつ、両者の区分を引くというものであった。その結果見出されるのは、「生命」と「思惟」とが単純に対立するものではなく、「思惟」がときに「生命」のもたらす効果に対立しつつも、思惟としての取り分を確立するために、何かしら「生命」に似ていく部分がある、そうした両者の錯綜した関係であった。
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