トヨタ生産システムの源流に関する一考察
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概要
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日本の「ものつくりの強さ」をトヨタ生産システムと結び付ける説が有力である。しかし, トヨタ生産システムがどのようにして形成されたのか, その発生に関する議論はほとんどされてこなかった。本稿は, トヨタ自動車の親会社である豊田自動織機が機械メーカーとして日本紡績業の生産技術の発展に深く関わっていたことに注目する。紡績業は明治維新以降の日本産業の中でいち早く輸入品に対抗し, 1930年代には世界的な有力企業を多数輩出した日本を代表する輸出産業であった。通説は, 日本紡績業の競争力を低賃金労働や国家的バック・アップに求めてきたが, 最近, 実際には現場主義に基づく効率的経営が成り立っていたのであり, 英米紡績業の生産システムと異なる日本的経営の源流となった, という見解が登場している。トヨタの創業者は自動車事業進出の当初からアメリカ自動車産業と異なる独自の生産構想を描き, 戦後その構想の実現にこぎつけてトヨタ生産システムを完成させた。R. ローゼンバーグ等がアメリカの大量生産システム形成の実証研究から引き出した技術の収敏説に従えば, 紡織機械メーカーとして日本紡績業の生産システムに深く関与していた豊田自動織機によって紡績業の生産技術が自動車生産に移転されたという仮説は検証する価値がある。
- 2004-02-28