黎朝碑文集 1 : 黎初箱碑文(文化編)
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概要
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最近、ベトナム黎朝前期に限って製作が流行したふたのついた碑文(内容は墓誌、よって多くは地中より発見され、ベトナムでは箱碑文bia hopと呼ばれる)の発見が報告されるようになった。この碑文の価値は、年代記だけでは知り得ない婚姻関係・親族関係などがわかることにあり、先学の収集に関する情報をもとに、筆者は収集旅行を数次行った。またハノイの漢文字哺研究院図書館にて筆者が発見したもの(拓本のみ)3基をあわせ、筆者の手元には以下の計11基の碑文の情報が集まった。まだまだ新しい発見が相次ぐであろうが、本稿ではその収集の過程や位置、日時等の情報を関示した後、11基すべての原文を公開する。《1》慈敏院公曁室黄氏之墓《2》阮有水墓《3》阮和敬墓《4》阮和敬之子Thuan之墓《5》定國國長公主墓之誌《6》入内都督平章軍國事賜國姓杜大夫人之墓《7》西越宣忠大夫殿前指揮副使上騎都尉亞明宇黎公之墓《8》郡上主黎氏之墓誌《9》西越國國太夫人阮玉印之墓《10》西越入内司馬參知政事院公之墓《11》〓溪侯墓誌本稿の目的はあくまで資料の紹介がメインであるが、碑文の分布の変遷が、当時の政権交代制にともなう権力の移動に対応していること、碑文作成を依頼した権力者と、撰者(多くは科挙官僚)との間に密接な関係の想定されること、そして16世紀になるとこの碑文が廃れていく原因として、墓誌と同様の趣旨・内容をもつ「家譜」の製作の一般化にあることなどを指摘しておき、今後の新発見に備えたい。
- 大阪外国語大学の論文
- 1999-09-30