青山、志賀家墓所の空想と夢想 (一) : 墓参史の意味
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概要
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何かにつけて、あまりに引用され過ぎてはいるが、若き志賀直哉は、人間は-少なくも自分は自分にあるものを生涯かゝつて掘り出せばいゝのだ。自分にあるものを mine する。これである。(明治四十五年三月七日付日記) という。後述するが、画期的な夢見に接し、とみに自己省察を顕著に語る、そのころの発言だ。終始、夢に関心を持ち続けたこの作家は、つねに、無意識層に耳目を開いていた。「自分にあるもの」、つまり無意識の形象、伝信を「掘り出」そうと努める。「自分」ひとりのそれは「人間」に通じる。志賀は、最深奥の「もの」の普遍性を信じて疑わぬ。意識の表層の自我拡充にとどまっていなかった。無意識と意識との直結、一致を目指す。晩年、八十歳の制作『盲亀浮木』(昭和三八・八『新潮』) の比喩は同義である。このような志賀文学の考察に青山共同墓地内、志賀家墓所を軸に立ててみた。墓地文学の傑作、題意通りの『城の崎にて』、墓参場面で前後を画した父子『和解』の作家だからである。墓域にあって、志賀はどのような「空想」を夢に描き、また、どのような「夢想」を授かったか。内心の営みが多くの作品を紡ぎ出す。考察の内訳は次のようなものである。副題を示す。・墓参史の意味 (本誌に掲載)・慧子の誕生、死、その埋葬 (本学『国文学科報』二七号に掲載)・『城の崎にて』の問題・大正六年七月三十一日の墓参・「空想家」の改題・改稿「夢想家」・『赤西蠣太』形成考・『或る朝』の研究・『暗夜行路』前後篇の出発
- 1999-03-15
著者
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