ラ抜き言葉 : 本学学生の意識
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概要
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本稿は平成五年十一月に、受講学生に対して、いわゆる「ラ抜き言葉」すなわち「見れる」等の動詞についての意見を書かせた課題についてまとめ、考察を加えたものである。全体を四章に分けるが、まず、第一章はその課題の意図・性格についての説明である。次に、第二章は学生一八七名の意見の分析その一で、「ここだと見られないね」という文を、助動詞「られる」の「可能」の意味でとらえるのが日常的に自然か、それとも「受身」の意味でとらえる方が自然か、という点についての意見のまとめである。この問いから、「ラ抜き言葉」の「見れる」が誘導されるのである。第三章は「ラ抜き言葉」についての意見のまとめである。まず、分析その二として, 学生が「ラ抜き言葉」に対してどのような態度を示しているかについてまとめる。次に、学生の意見の中から、「ラ抜き言葉」を容認する、容認しないにかかわらず、理由を明示して論述している意見を抽出して分析し、実際にそれらの意見を主旨別・学年別に掲げる。これは一〇四名となる。第四章は本稿のまとめで、意見を書いた学生たちを読者と想定して、「ラ抜き言葉」に対する観点について、多角的に述べようとしたものである。また、この課題についての筆者自身の反省も含まれている。
- 跡見学園女子大学の論文
- 1995-03-15