国事鞅掌者の映像 (三)
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概要
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薩摩藩江戸屋敷焼打事件に登場する浪士隊の責任者、落合直亮を第一篇に、権田直助を第二篇に掲げたので、第三篇に小島四郎 (相楽総三) をあげて論述する。小島四郎は薩摩浪士隊の総裁として活躍したが、後、赤報隊第一隊々長とし関東に向って出陣中、部下の掠奪暴行事件の責任者として処罰され、刑死するに至った。かれの悲惨な運命について、長谷川伸が「相楽総三とその同志」(昭和十五年から十六年にかけて執筆) で紹介し、これを契機に多くの読者に相楽総三の非運が認識されたが、何故相楽が「にせ官軍」として処刑されたか、その真相が充分にかかれていない。同書執筆の時期が大平洋戦争勃発直前で、明治維新の暗いところは時勢にふさわしくなかったのかもしれない。赤報隊事件は明治新政府が発足後、直面した財政問題と深くかかわり、総三などは財政弥縫策の犠牲者であるとの見解が大方の認識で、それについてのすぐれた論説もみえるがなお明らかでないところがある。本論で関係史料を整理し、相楽総三の実像を再検討してみたい。
- 1984-03-15