ゲシタルト心理学の創唱者マックス・ウェルトハイマー(II)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
1)Max W.は1933年9月13日アメリカに到着してから間もなく家族はNew RochelleのThe Circle 12番地に落付いた。その秋から彼は新社会調査学校、別名「亡命者大学」Univ. in Exileの教授として講義した。それはドイツ語で行ったが早くも1934年春には英語で行った。最初2年間は英語で大いに苦労し、wholeとholeのちがいは発音で示すことができないので,いつもwholeという語を黒板に綴って示すほどであった。2)「新学校」では図書,設備,実験器具が不十分なため,それを補う努力をし,また研究方面もドイツにおけるよりも多方面に拡げた。しかし彼の教授態度にはドイツにおけると同じものがあった。彼に接する研究者,大学院生は彼からinspireされるものが少くなかった。彼の家には研究者,大学院生がよく集まり議論をよく行った。家庭では彼はこどもに献身的な父親であった。3)彼は真理,社会的正義,デモクラシー,自由に対して強い関心をもち,彼がアメリカで出したpaperは何れもこれらを扱ったものである。彼は解職された学者をアメリカで職につけるために,その方面の委員会に積極的に働きかけて努力したが,一般の空気は反ユダヤであり,経済的不況の影響もあった,十分な成果は見られなかった。4)彼は「新学校」の他に,コロンビヤ大学と密接な関係をもち,そこで講義もし,指導審査も行った。彼はアメリカ東部の諸大学のみでなく,中部,西部の諸大学にも出かけて講義し,亡命者の再就職への努力や学生への指導推薦にも力を致した。彼のこのような旅行,講演はゲシタルト心理学の理解に大きな助けとなり,彼は学者として,また鼓吹的教師としての名声を得た。そして1943年10月12日New Rochelleで死去した。63才であり,渡米以来10年の教授生活を送ったわけである。
- 1988-12-25