西洋音楽受容の非音楽的基礎
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概要
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日本は文化接触論研究に対して恰好のフィールドを提供する。幕末の使節団員たちが洋楽にアレルギーをしめしたにもかかわらず、明治新政府は東京音楽学校を創設し、洋楽受容に精魂をかたむけた。雅楽を専門とする楽部の面々すら、洋楽習得へのプレッシャーから自由ではなかった。この急激な変化は、「猥褻」への憎悪をその背景に有する。伝統音楽の詞は卑猥にすぎるとうけとられたのである。洋楽は単純にその旋律美によって受容されたものではない。制度急変のとき人は猥褻に対して不寛容となった、というのは興味ふかい事実である。
- 2001-12-20