滿蒙の石炭(大正一四年三月三一日撫順講演大會に於て)(撫順講演大會, 滿鮮大會講演録)
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概要
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演者は先づ世人の稱する滿蒙並に南滿洲の區域を圖説したる後南滿の地が我國本土に數倍せるに在住日本人僅に一八萬人餘にして廣島市又は八幡市の人口に過ぎず將來吾人が發展の餘地充分に存すと述べて本題に入る、滿蒙の石炭は地質學上古生代、中生代、新生代の三年代に大別するを得古生代の石炭は本溪湖、煙臺、田師符溝、朝鮮平壞炭田、山東〓川及博山炭田、直隷省開〓炭田等何れも之に屬す而して古生代石炭の通有性は無煙炭にして而かも屡々粘結性を有する事なり第二の中生代の石炭は新邱、大〓〓産を首め東支線密山其他長春竝に長春奉天間に點々として小盆地を成せるものにして何れも瀝青炭にして水分多く風化し易き通有性を有す第三の新生代は撫順炭田を首め吉林東北部の缸窒炭田等之に屬す撫順炭田を除く以外は褐炭にして朝鮮會寧附近のものに類し極めて風化し易き通有性を有す以上三時代の炭田は存在數に於ては中生代最多なるも炭量に於て新生代を第一とす演者は滿蒙各炭田に就き地質時代、炭種、埋藏量等を詳細に表示し現時に於ける各炭田の産炭量に就きて述べたる後將來日本内地に不足すべき石炭は之を撫順其他の南滿炭田より供給し尚不足するに於ては蒙古、北滿並に支那山西の石炭に俟つべきものなりと結論せり。
- 1925-05-20