ミカドの南方使節 : 19世紀における帝国海軍練習艦航海ニュージーランド訪問記
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概要
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19世紀の日本人が、初めて環太平洋地域の英国人と広く接する機会を得たのは、帝国海軍練習艦の航海が一つの端緒となっている。その航海の主要な目的は少尉候補生に実地訓練を施すことであったが、様々な国の民衆と接触する機会が多いことから、文化交流という狙いもまた含まれていたのである。乗組員が各国でどのように迎えられたかを示す資料は、日本国内にはあまり残されていない。だが受け入れた側の国に残っている当時の新聞を見れば、"海軍文化使節団"が人々に与えた衝撃は、ある程度再現することができる。本論は、1882年から1886年に亘って4度訪れた日本帝国海軍の訓練艦が、ニュージーランドで如何に迎えられたかという記録を検証するものである。こうした記録は我々に、日本軍や日本人移民が脅威の対象として歴史の舞台に登場する以前の時代、あるいは蝶々夫人型の東洋趣味に毒されていなかった時代に、太平洋地域の英国人が、日本人に対して示した反応を垣間見せてくれるであろう。無論、日本人の到来自体が、当時は非常に珍しい事件であった。その遠来の客は自らの目新しさをうまく使って、地元民に好意的に受け入れてもらうことに成功したのである。有色人種に対する優越感や見下したような態度もなくはなかったが、日本人の礼儀正しい振舞いへの賞賛が、すぐそれに取って代わり、新聞も間を置かずに、この珍客を理解不可能な異民族ではなく、英国人の価値基準で判断してもよいような対象として位置付けたのである。
- 1996-06-10
著者
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