衛生改善と神奈川県衛生会議
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
安政6年(1859)に横浜は開港され、資本主義経済の受け入れ口として都市建設が行なわれ、国の内外より貿易利潤を求める人々が横浜に集積した。新都市(ニュータウン)横浜の都市建設にあたり、欧米を模索した部分(欧米模索型)と、日本に回帰した部分(日本回帰型)に大別される。明治12年(1879)にコレラが流行し、神奈川県は外国人医学者を団長にして、区長・戸長・技術者を結集して内外人住民の戸別衛生調査を行なった。この調査によって判明した便所の悪い設置状態から、欧米模索型である『便処下水構造規則』を明治15年(1882)に定めた。
- 2002-06-23
著者
関連論文
- 長野(長寿,47都道府県建築事情)
- 7036 歴史的環境と都市計画道路に関する考察 : 松本市を事例に
- 5484 信州松本平の本棟造りにおける座敷まわりに関する研究
- 近世松本城下町における都市形成史に関する研究 : 町割と水系から見た城下町の原景(計画・歴史系)
- 9264 松本市における本棟造りの平面構成に関する研究 : 正方形9電化追浜平面と方位
- 信州のまちづくりと職人(地域の眼8 : 長野)
- 首里城復元(CUT Critic by Under Thirty)
- 沖縄(長寿,47都道府県建築事情)
- 明治期横浜の防火規則に関する研究(2002年度大会 (北陸) 学術講演梗概集)
- 衛生改善と神奈川県衛生会議
- 大門町における役屋敷と賦課の関係に関する考察 : 近世善光寺門前町における都市史的研究(計画・歴史系)