2) 江戸時代の學校建築に就て
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概要
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江戸時代に於ける儒學の勃興と共に藩學郷學等の學校建築設立の状況を述べ、特に今日迄著者の調査せる現存藩學郷學校の規模と遺構の概説を試み、學校建築の中樞と見るべき講堂聖堂建築の特殊性とその基因を究明した。即ち講堂の形式を三大別し又聖堂建築は從來儒教建築と稱せられて來たが、實は學校建築の一施設であるとの見解の下にその様式的特殊性たる支那風異色の濃厚に現はれたのは元禄以降寛政までゞあることを考察した。
- 社団法人日本建築学会の論文
- 1935-04-29
著者
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