データベースとしての社会
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概要
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コンピュータの能力が拡大して行くにつれて、私たちは膨大な情報をコンピュータに蓄積しつつある。そうした情報は、データベースとして利用されることが多いが、現時点では、コンピュータのデータベースは内容が不十分で (適切なデータの不足)、使いにくく (インタフェースが貧弱)、分かりにくい (システムイメージの貧弱さ) などの問題がある。こうした硬直したコンピュータデータベースに対して、人間はきわめて柔軟で深いデータ検索能力を持っているようである。こうした柔軟な人間の能力をコンピュータデータベースに活かすためにはどうしたらいいのだろうか。しかし、そもそもいったい人は情報を検索するのが得意なのだろうか。それとも苦手なのだろうか。もしかしたら必要になるかもしれないと考えて、今は使わなくなった古い道具を保存する。後で必要になると考えて新聞記事を切り抜く。しかし、多くの場合、そうした道具や情報は使われずに死蔵されるだけになる。しかし、その一方で私たちが現在の複雑な情報社会の中でさまざまな事務処理や過去の情報の管理をおこなっていることも確かである。他者と会話すること、テレビを見ること、過去のできごとを思い出すこと、メモを見ること、そうした行動のすべては私たちの情報を取り扱う行動の一部である。こうした行動はあまりに日常的で当然のようにおこなわれているために、そうした情報行動 (情報検索行動) を全体としてとらえることは困難であった。ここでは、こうした社会場面における情報検索行動を「社会的データベース」に対する検索であると考え、とりわけその社会的データベースにおける情報検索行動の (結果としての) 失敗場面を取り上げることによって、人の情報検索行動を明らかにすることを試みる。そして、コンピュータデータベースをより使いやすくするためにどのようなことが可能かを考える。
- 社団法人電子情報通信学会の論文
- 1997-03-06