第二次大戦以前の在外ロシア正教会における不和と分離
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概要
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本稿は、第二次世界大戦以前の在外ロシア正教会における分離にまつわる諸問題を、主に在外ロシア正教会主教シノドを支持する著者たちの資料に基づいて検討するものである。在外ロシア正教会が分離したとき、そこには主教たちの間に幾らかの不和があった。それ以前には、移民の間にイデオロギーにまつわる見解の不一致があり、それは分離の背景として指摘できよう。彼らはロシア国家に関する様々な理念を抱いていたが、しかし、教会の名において特定の国家秩序を支持することを否定する人々がいた。さらに、在外ロシア正教会にとっての最高教会機関の権威にまつわる見解の不一致が生じた。主教公会の大多数は、自分たちのシノドを通して教会の統一を実現しようとした。しかし、府主教エヴロギイとプラトンは、この理念を拒否し、主教公会とシノドからの独立を志すグループを非難しなかった。両府主教が主教公会とシノドの権威を否定したのは、主教公会がそうしたグループと彼らの関係を指摘し、彼らがそれらと絶縁するよう要求したときであった。彼らは自分の任命に関するモスクワ総主教の布告に立脚して自分たちの主教区を統轄しようとした。このような形で在外ロシア正教会は分離した。北米における分離は長く続かなかった。主教公会は北米における主教たちに和解を提案し、後者は即座にこれに同意した。府主教プラトンの死が彼らにこれを可能にした。他方、主教公会からの和解が提示された時、府主教エヴロギイは祈祷による交流を受け入れたが、しかし、教会の組織的統一に否定的に対処した。彼は、和解の文書を拒否するよう自分の主教区会議を指導したが、自分はそれに署名していたのであった。このようにして、エヴロギイとプラトンがロシア国家と教会に関する様々な理念を抱えていたロシア移民にとって積極的な地方分権主義者の役をこなしたということは明らかである。
- 2002-03-31