19世紀ローマの歴史地理
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概要
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はじめに 1848〜49年はフランスの二月革命をはじめとする先鋭な社会的改革の内容を含んだ「革命」の時期であると同時に、「諸国民の春」と呼ばれるナショナリズム運動の国際的な開花の時期であった。イタリアにおける1848〜49年革命は何よりも民族の独立と統一という課題を中心に闘われたのだが、そこでは同時に社会的問題に対する民衆の極めて率直な要求と運動が現われることになった。それはパリでの革命の如く「労働の組織化」や「労働の権利」といった理念や言葉は持たなかったが、社会的改革を志向したものに違いなかった。そのため、革命運動はイタリアの社会政治経済状況を強く反映したものになる。本稿は1848〜49年のイタリアにおけるそうした革命運動を射程に入れた上で、リソルジメント期のイタリアの社会経済的状況を分析することをその目的としている。19世紀前半のイタリアが政治的にも社会的経済的にも前世紀の沈滞状況から脱しかけていたことは事実であった。とりわけ経済面での新局面は北部での農工業の進展に見ることができる。しかしながら、外国勢力(スペインおよびオーストリア)の強い影響下での小邦の分裂状態が既に数世紀続いていたイタリアでは、そうした政治的条件のみならず、地域ごとの自然的条件の違いがまことに多様な政治社会経済風土を形づくっていた。そのため、1848〜49年の運動も地域ごとにその内容を検討すれば、実に多くの偏差をその内に含んでいる。そうした偏差を抽出するためには個々の風土を分析する必要がある。ローマでの運動の持つ特色は、[1]イタリア中南部の経済的停滞状況が濃い影を落していた都市である(生産の面が極端に弱い寄生的な性格の都市である)[2]カトリック教会の管理・支配の構造が最も典型的に表われていた領域である、にもかかわらず、[3]短期間とはいえ革命政府の統治が行われ、種々の改革政策が検討・実行される[4]革命に対する外国勢力の干渉に強力に抵抗する民衆運動が生まれる、などの点であろう。こうした諸側面がどのような社会経済構造とつながっているかを考える前提として、本稿で行なう作業を位置づける。
- イタリア学会の論文
- 1992-10-20