プラトリーノの庭園意匠を読み解く(試論) : 権力の表象空間としての庭園
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概要
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フィレンツェ北西郊外に位置するプラトリーノの庭園は、トスカーナ大公国君主フランチェスコ・デ・メディチ(1541-1587)によって1569年から15年の歳月をかけて造成され、当時、ヨーロッパ最大の規模を誇った庭園である。しかしながら、この庭園の意匠は施主の交代と時代の流行によって様々に変化し、現在は十六世紀の造園当時の面影を全く失っている。しかし近年、十六世紀におけるプラトリーノの庭園の歴史的重要性が再び注目され、建築史家や美術史家によって学会や展覧会で取り上げられている。だが先行研究では個別の庭園意匠に着目した考察や、庭園を構成する「驚異」・「珍奇」的な要素の分析、さらに錬金術思想に傾倒した施主フランチェスコ一世の綺想を庭園の特徴とする論述が中心となっており、フランチェスコ一世の芸術文化保護政策と君主が抱いていた世界観までを視野に収めて、庭園に実現された意匠の図像を総合的に考察する研究はおこなわれていない。またトスカーナ大公フランチェスコ一世は、これまでの歴史記述や先行研究の中で、憂鬱気質で錬金術の実験に没頭した君主として記述されてきた。しかしルチャーノ・ベルティ以後の研究では、フランチェスコ一世の化政策は君主の博識と広範な関心なしでは立案されえず、更に文化政策は君主がトスカーナ大公国の経済的な豊かさと文化的優越性を顕示するために不可欠であったことが明らかにされている。したがってこれらの先行研究を踏まえて、プラトリーノの庭園の地割りや意匠が表す意味を解釈し、それらが担った政治的役割を明らかにし、庭園の図像プログラムの解読を試みたい。
- 2003-10-25