い草・い製品をめぐる国内および国際間競争と地域経済
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概要
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わが国におけるい草生産は,戦前以来1960年代半ばまで,岡山県および広島県に代表される山陽地域が主産地を成して来た。ちなみに円本資本主義が高度成長し出す1955年におけるい.草作付面積をみると,岡山県は3,200haと,全国作付総面積の52.2%を占めている。次いで熊本県が11.9%,広島県が11.4%と続く。しかし以上の状況は,1960年代以降大きく変容した。これは,主として次のような理由による。つまり国内的には,1960年代以降の高度経済成長と地域開発の影響並びに産地問競争の激化が,また国際的には,台湾等から安価ない革製品の輸入が増大し,戦後伸長して来た需要の拡大が困難化したためであった。かくして,い草の主産地は,岡山県を中心とする山陽地域から,北九州の熊本県および福岡県と,四国の高知県へと見事に交替した。ちなみに1965-85年の動きをみると,岡山県が全国の作付面積に占める割合は,41.9%から2.5%へ,一方,熊本県のそれは,29.5%から75.5%へと変化したのである。このようない草生産の衰退や崩壊は,地域の衰退を引き起こす等地域経済に深刻な影響をもたらした。すなわち岡山鼎のい草生産地域も,その再編を余儀なくされたのである。しかしここでは,高級品の製造や工業製品の導入のみならず,地元資本が,加工,流通等農業以外の部門の充実にも努めた。これにより,他地域への依存を強めるとともに,富を地域に蓄積することが出来たのである。