三沢勝衛の地理学研究 : その変遷と日本の地理学
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
三沢勝衛の本格的な地理学研究は,旧制諏訪中学校着任後の1921年ごろから始められた。それは円本の近代人文地理学史の初期にあたり,彼は,地理学の領域をはるかに越えた読書と精級な野外調査によって,1937年に死去するまでに数多くの最高水準の業績を積み上げた。特に1926年以降の成果が顕著で,当初は「地域の力」や「地表現象」のような独自の用語によって地理学を論じ,小田内通敏との交流の中で,歴史的考察を含めた経済地理学的な地域研究を行なった。1929年頃からは,辻村太郎や田中啓爾との交流を感じさせる術語「地理(学)的洪観」「地域性」「地理(学)的地域」を用いて地理学を論じ,景観概念を駆使した地域研究を発表した。この研究には歴史的考察が後退しており,当時の主流景観論の影響を多少被ったことがうかがえる。しかし一方,独自性と先見性を有した彼の論考は,いわゆる中央の学界に相当大きな波紋を及ぼしたと考えられる。1933年末,彼は「地域性」に替わる「風土性」を創案して中央学界と狭を分かち,このエコロジー的な要素をもつ概念を用いて不況下の信州の農山村に入り,風土産業と風土生活による地域振興を説くに至った。
- 地理科学学会の論文