二十世紀前半におけるイタリアの知的貢献 : その一、英文学研究
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概要
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イタリアの学者が二十世紀前半に世界の学界になした貢献は決っして無視できないものがある。そしてそこに見られる卓越した創意や天才的叡智のひらめきは、しばしば他の国の学界には発見できないものがある。それにも拘らず、我国においてはそれは従来殆んど紹介されなかつた。私は順次イタリアの学問の全般にわたってその紹介を初めるつもりであるが、その第一回の試みとしてイタリアにおける英文学研究を爼上にのせてみよう。従来イタリアの英文学研究はあまり盛んではなかった。それ故、英国人がイタリア文学の中でダンテの名前はすぐ思い出すが、その先がつづかない同じように、イタリア人もシェクスピアの名前以外には殆んど英文学者の名前を知らなかった。これが今世紀初めの状態であった。だが、よく考えれば伊英両国は互いに文学的に密接な関係にあり、チョーサーの文章のスタイルを精煉したり、シェクスピアに創作の材料を与えたり、ミルトンにソネットを書かせたり、シェリの詩の主題となる風景を見せたり、スウィンバーンに政治的話題を呈供したり、また最近にはD・H・ローレンスの小説にヒューマニズムを供給したりしたのは、みなイタリアであった。だがイタリアで英文学の講義が初められたのは、そう古いことではない。一九一八年頃ローマ大学ではF・ガルランダF.Garandaがその口火を切った。彼の著書としては、「詩人及び人間としてのウィリアム・シェクスピア」"Guglielmo Shakespeare il poeta e l' uomo" 1910がある。同じ頃ミラノの文学学院Accademia Scientifico-Letteraria di MilanoでもL・E・マーシャル嬢Miss L.E.Marshallが英文学の講義を初めた。だが、どちらかと云うと当時の英文学の研究はむしろ民間活動として、新聞、雑誌に批評を掲載したり、翻訳をのせたりする形で世人の英文学に対する興味をあほることによってその基礎を堅める方式がとられた。
- イタリア学会の論文
- 1961-01-30