ピランデッロの解放 : 存在の他律性と時間性からの脱却
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概要
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ピランデッロにとって、存在論、特に個人のアイデンティティの問題は、常に彼の文学的営為における中心主題ではあったが、その認識は段階的に変化している。例えば、『生きていたパスカル』(1904)や1910年代前半までの初期短編作品においては、「他律的・社会的な役割認識=個人のアイデンティティ」の図式に、完全に主体は支配されている。だが1930年代の晩年の短編群においては、名前・身体性の消失、感覚を伴わない物質との同一化といった特徴を有する「主体の喪失」が存在論の中心に据えられる。本稿では、こうした存在論的な認識の変化の段階的な推移、あるいは転回点を、上記の両時期の間に執筆された『ひとりは誰でもなく、また十万人』(Uno, nessuno e centomila,1909-25、以下UNCと略す)と戯曲作品群との綿密な分析、比較を通じて解明することがその主な目的となるが、そこにおいて興味深いことは、戯曲作品においては、どうしても得られなかった一種の存在論的な解放が、UNCの中ではその結末において達成され、それが先に述べた晩年の短編群に顕著に見られる「主体の喪失」へと連なっていることである。実際にピランデッロ自身、UNCは戯曲作品の序文になるべきであったが、結果的にそのエピローグになってしまったと述べ、戯曲作品における彼の詩学の要約としての意味合いをUNOの中に認めているが、一方同時に戯曲作品には現れてこなかった彼の思想のポジティヴな側面がUNCには表出しているとも述べている。存在論的な認識の変化や転回点を考える上でも、制作年代のねじれを考慮に入れつつ、戯曲作品とUNCとを比較することは有益であろう。まず本稿の第一章においては、ピランデッロの初期作品と晩年のそれとを比較、検討して、主体認識の変化について確認したい。第二章では戯曲作品とUNCとの両方に共通する要素をとりあげて、認識の変化の第一段階としての「存在の多様な可能性」を検証する。そして第三章において、UNCだけに付加されている別の側面から、認識の変化の転回点を確定した後、第四章においては、こうした認識の転回を促した内的・外的要因について、「認識主観と時間性・歴史性との関わり」という当時の社会的・時代的な問題意識や、作家個人の資質との相関において明らかにするつもりである。
- 2000-10-20