イタリアのシェリーに及ぼした影響
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概要
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一九一八年四月始めから一八二二年七月八日に至る迄の四年間を、シェリーはイタリアで過した。ところで周知の如くこの四年間は彼の生涯を通じて最も意義深い時期となっている。即ち傑作「プロメシウス解放」Prometheus Unbound「チェンチ一族」The Cenciを始め、「ひばりの歌」Ode to the Skylarkや「風の歌」Ode to the West Wind等の叙情詩、「エピサイキデオン」Epipsychidion「アドネイス」Adonais「生の勝利」The Triumph of Life等すべてこの期間に書かれている。生涯の中最後の四年間が、何故にシェリーにとって、それ程重要なものとなることが出来たかについて、我々には単にその時期が彼の円熟期にあたっており、又彼の発展の頂点でもあったと説明するだけでは充分でないように思われる。即ち、我々はイタリアのシェリーに与えた影響についても決して無視してはならないと思うのである。イタリア滞在中の彼は、どちらかといえば孤独を愛し、限られた親しい人々と親交を結ぶ以外に、進んでイタリアの人達と交渉を持とうとしなかったし、又同時代のイタリア文学からも殆ど恩恵を蒙ることがなかったので、イタリアのシエリーに及ぼした影響といっても、せいぜい、美的な要素にとどまるものと考えられて来ている。この時期にかかれた彼の詩の中に特に明瞭な影響の跡をたどることが出来ない以上、このような考え方が認められてきたのも一応尤もと思う。しかし、若し影響が単に美的なものだけであったとしても、その影響を彼の作品の中から指摘し、同時にその意義について説明することはさ程困難な仕事とも思われない。実際問題として影響はかなり深く詩人の魂に作用し、しかもその種類も多方面に亙っているように考えられる。影響の種類を便宜上、政治的情勢からのもの、作品(文芸・芸術全般)からのもの、及び環境からのもの、の三つに区分して考察してみたいと思う。即ち当時のイタリアの政治情勢がシェリーの詩に何等かの影響を与えはしなかったかという調査から始めて、次に、イタリア文学や美術からの影響がどの程度彼の作品にしみ込んでいるかを確め、最後に、イタリアの自然美がどのような霊感を作品の上に及ぼしているかについて考えて行くつもりである。
- イタリア学会の論文
- 1957-01-31