メタスタージオのオペラセリアにおけるアリアの劇的効果
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概要
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1.はじめに 18世紀の詩人ピエートロ・メタスタージオ(1698-1782)はオペラの台本作者として、特にアポーストロ・ゼーノ(1668-1750)らによる18世紀初頭の台本改革の完成者としてつとに有名である。彼らの台本改革は、17世紀後半のオペラが歌手の超絶技巧の重視、舞台装置の見世物的効果、悲喜劇の混ざった混乱した筋によって損ななわれていたのを、詩の重要性を再認識し台本の文学的価値を高め劇としてのまとまりを与えることで改革するというものだった。一方で我々がメタスタージオを語る時、宮廷詩人という枠内で、内容的にも表現の点でも体制維持的で保守的な像を思い浮かべることが多いのも事実であろう。台本改革者としてのメタスターラジオ像と、古臭い保守的な台本作者としてのメタスタージオ像はどちらも、オペラが音楽と文学という別のジャンルの交点であることを考えると納得できる部分がある。すなわち、オペラの歴史は前の世代の音楽と文学のバランスを次の世代が変更し新しいバランスを築くことの繰り返しであり、次の世代が新しいバランスを創り出すことを「改革」と唱えることは、自然でもあり度々見られることなのである。そういう意味で18世紀という時期に登場したメタスタージオは17世紀のオペラ台本を改革しようとした18世紀の詩人であって、しかも次の世代にとっては保守的で型にはまった古臭い台本を作った詩人であり新たな改革の対象になったという訳なのである。しかし彼の台本は18世紀を通じて(特にその前半)ヨーロッパ中で音楽をつけられ上演された。型にはまった堅苦しいものでしかないものが、どうしてそれほどまでに人々の心を惹きつけたのだろうか。メタスタージオとその前後の時代が遠い過去のこととなった現代において、彼の次の世代が築いた古臭い型にはまった詩人というイメージに引きずられることなく、メタスタージオの実現したひとつの音楽と文学のバランス自体を評価することが可能でもあり、必要なことではなかろうか。このような問題意識を前提に、文学の立場からメタスタージオのオペラ台本の一側面を取り上げて、音楽と文学のバランスの変化の歴史という枠組みの中で彼の台本の果たした役割を再検討してみたいと考える。取り上げるのは当時のオペラの中で音楽と文学のバランスの問題の中心にあり、それ故にメタスタージオらの「改革」の対象ともなり、かつ次の世代にとっては批判の対象にもなったアリアである。当時のオペラ台本は大きく分けて、韻や音節数や行数に縛られないレチタティーヴォの部分と、それらに一定の約束事のあるアリアの部分からなっていた。レチタティーヴォの部分は内容的には劇の台詞に相当するものであり、一方アリアは高まった感情の表白部分であった。観客(聴衆)のお目当ては、作曲家が力を傾注し歌手が自慢の喉を披露するアリアであった。そして興業のためには劇の筋はさておきアリアを頻繁に挿入するということが行われていた。さらに、脇役のアリアの数は主演歌手のそれより少なければならず、そのアリア自体目立たないものでなければならなかった。言い換えれば、当時のオペラは文学中心のレチタティーヴォ部分と音楽中心のアリア部分から成り、音楽中心のアリアのために、文学中心のレチタティーヴォ部分と、そして劇全体が損なわれていたのである。このようなアリアの野放図な挿入に歯止めをかけたのがアポーストロ・ゼーノであり、そしてメタスタージオであった。こうして場(scena)の途中にはアリアを差し挟まず、場の最後でアリアを歌い、歌った歌手は退場し、全員退場したら場面転換が行われるというパターンが作られていった。ゼーノの作品においては、出現しているものの必ずしも確立していないが、完全にパターンとして定着しているのがメタスタージオ作品である。ところが、このような「規則」は筋の進行と停止という一定のリズムを刻むこととなり、次世代に批判されることとなった。つまり、アリアにおいて筋は進行を止め、全体としての緊密性を失うというのだった。本稿では、Adriano in Siriaを取り上げて、実際にアリアがどのような姿をとっていたか、そしてどのような効果を持っていたかを検討する。
- 1997-10-20