イタリア側の資料から見た岩倉使節団 : カゼルタ王宮訪問の場合
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概要
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はじめに 1873年(明治6年)の5月から6月にかけて岩倉使節団は第十番目の公式訪問国であるイタリアを訪れ、約一か月間滞在している。5月8日、当時のオーストリアとの国境に位置する北イタリアの町アラから入国して以来、まずフィレンツェでは古今の美術鑑賞三昧の一泊二日を過ごし、ついで首都ローマ入りして、国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世への謁見と国書奉呈をはじめとする幾多の公式行事に臨む一方、諸施設・機関の見学と観光を実に精力的に行った。ナポリを訪れる途次、カンパーニャ県のカゼルタ王宮に一日遊んだのは、イタリアにおける全工程のすでに半ばにさしかかっていた5月20日のことであった。団員それぞれはおそらくもはや南国の雰囲気にも一応なれ、たとえ再びローマに数日滞在し国王への離別の謁見(5月25日)の大事が残っていたとしても、いやが上にも緊張を強いられる多くの要人との会見や懸案をめぐっての折衝から解放されて、くつろいだ気分に浸っていたに違いない。イタリア有数の名園で知られるカゼルタ王宮訪問記は、『特命全権大使 米欧回覧実記』(以下、『米欧回覧実記』と略す)第七十七巻「那不児府ノ記」の冒頭にあって、「此ノ日ハ皇帝ヨリノ特旨ニテ、接伴掛、及ヒ宮内ノ官員ヲシテ、此宮ニ遊覧セシム」に見られるごとく、国王の「特旨」による行き届いた接待の様子と樹木と水を駆使した世界でも類例を見ない広大な庭園見学の驚嘆を感慨を、2頁にも満たない紙数でいとも簡潔に綴っている。「皇帝」は言うまでもなく国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世を指し、「接伴掛」は、フィレンツェ到着以来イタリア巡遊中終始使節団に随伴していたアレッサンドロ・フェ・ドスティアーニ(Alessandro Fe d'Ostiani)伯爵であり、まさにこの任に当たるためもあって、1873年4月に一時帰国した駐日特命全権公使にほかならない。使節団一行がカゼルタ遊覧の一日をこの上もなく満喫したことが読み取れる『米欧回覧実記』の「カゼルタ訪問記」、いわば日本側の資料による限りでの記述からは、万事きわめてスムースにことが運ばれた感を免れない。ただし万抜かりなくことが運ばれた背景には、当日はいうに及ばず、前後に接待側であるイタリア・サイドの計り知れない配慮・準備・処理が存在したであろうことは想像に難くなく、本稿ではイタリア側の関係資料を基に、この点に注目しながら、訪問の全容解明を試みてみたい。
- 1996-10-20