ガリレオによる数学的自然学の正当化
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概要
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1.序 ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei, 1564-1642)は、落下法則の確立や望遠鏡を用いた天文学上の発表によって、アリストテレスの伝統的宇宙論の支配的地位を崩壊に至らしめ、ニュートンによる力学体系の確立の向けた礎石を築く。これらの発見は自然探求の方法自体の革新によって可能となったものであった。ガリレオが自然探求において用いる新しい方法とは、第一に数字を積極的に用いた方法であり、さらにそれは実験的検証の方法と結合する。この数学的探求方法において、ガリレオが目指していたのは、第一に自然現象における厳密な量的関係の把握、すなわち比の把握であり、第二に確実な原理を見いだし、その原理から諸性質を演繹していく数学的体系化である。当時、機械学などの技術的分野において数学的探求の傾向が強まりつつあった。この傾向を受け継ぎ、さらに、自らもユークリッドやアルキメデスの著者から数学を学んだガリレオは、初期の考察からこの目標のもとに自らの運動論を展開していく。そして、その晩年に出版された『新科学論議』(Discorsi e dimostrazioni matematiche intorno a due nuove scienze, 1638)の中で展開される落下法則の定式化とその数学的証明は、この目標が運動論において見事に達成されたことを示している。こうしてガリレオは、アリストテレス自然学の土台となっていた運動論を数学的に考察し、さらにコペルニクスの新しい宇宙体系を支持することによって、自然学の旧体系と全面的に対決していく。その中で彼は、新しい科学の方法を主張し、もはや自然学研究は数学なしには行い得ないと主張していく。しかし、この新しい方法の主張は、アリストテレスが自然学的考察において数学を本質的なものとは考えていなかったために、アリストテレス学派の哲学者たちによる激しい抵抗を受けることになる。彼らの批判、抵抗に対峙するためにも、ガリレオは自らの新しい数学的自然学を正当化する必要に迫られていくのである。以下では、ガリレオが新しい科学すなわち数学的自然学をどのように正当化しようとするのか、さらに、そこでどのような問題が生じていったのかについて考察していく。
- イタリア学会の論文
- 1996-10-20