15世紀のフィレンツェ社会における「友人関係」
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概要
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中世・近世のフィレンツェ社会における人間関係の重要性は、多くの研究者によって指摘されている。都市には、親族関係、アルテや会社等の職業上の結び付き、地縁的な結合、友人関係、信仰団体、遊び仲間などが、錯綜しながら展開し、複合的なネットワークを形成していた。そこには、フィレンツェの人々が生まれながらに、あるいは無自覚に関与するしがらみもあれば、政治的・社会的な利害信仰心から意識的に参入・結成する人的結合関係もあった。こうした複合的な人間関係・コネクションは、勿論フィレンツェのみならず、イタリアの都市の多くで見られたものであるが、殊にフィレンツェにおいては、都市政治の動向にまで関わる意義をを有していた。この都市は、12世紀にコムーネとして自立して以来、共和政体を維持し、その伝統に固執し続けたが、政治体制が真に安定したことはなかった。また富裕な商人を中心とする都市の支配層も、貴族共和政が制度化されたヴェネツィアとは異なり、その身分が定義・固定されてはいなかった。その結果、政治的には不安定であったが、同時に階層間の透過性・柔軟性を持ってもいた。かかる社会における社会的地位の向上ないし維持や政治への参加は、単に財産によってのみ達成されるものでもなければ、逆に、固定した身分の区別によって限定或いは保証されるものでもなかった。逆に、固定した身分の区別によって限定或いは保証されるものでもなかった。ここに種々の人脈が介在することになったのである。このようなフィレンツェ社会の基本的な性格は、1530年まで保たれていたが、当然ながらその内実は、時代と共に変化した。殊に大きな変化は、15世紀に生じたと考えられる。この世紀は、メディチ家が共和国支配の実権を握るべく制度改革を行い、フィレンツェの権力構造が、従来とは大きく変わっていった時代であった。都市社会に広がる人的ネットワークは、政治に影響を及ぼしたが、同時に都市の権力構造の変化に影響されもしたはずである。筆者はこれまで、主として14世紀に目を向け、メディチ体制が確立する以前のフィレンツェ社会における人的結合関係を様々な側面から考察してみようとしてきた。その目的は未だ達成されたとは言い難いが、フィレンツェ史の流れ、更にヨーロッパ史の大きな流れの中にこの問題を位置づけることを考えると、15世紀の社会に目を向けない訳にはいかない。近年F.W.ケントが、G.コルティと共に出版した史料Bartolommeo Cederni and His Friends. Letters to an Obscure Florentineは、この15世紀の人的ネットワークを考察する上で、示唆に富んでいる。15世紀フィレンツェの中層市民バルトロンメオ・チェデルニに宛てられた多くの書簡に基づいて、彼の周囲の人間関係をケントが考察し、更に、チェデルニと周囲の人間達との関係を特に窺わせるものを46通選んで、刊行したものである。史料集としては些か心もとない史料の数であるが、《Obscure Florentine》と副題にもあるように、なかなか明らかにしにくい中層市民の人間関係を考える手掛かりとなる。そこで本稿では、このバルトロンメオ・チェデルニの「友人関係(amicizia)」から、15世紀フィレンツェの人的ネットワークを考察し、それをフィレンツェ史の流れの中に位置付けることを試みる。
- 1994-10-20
著者
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