15世紀フィレンツェにおける捨児・家族・社会 : インノチェンティ捨児養育院の記録をもとに
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概要
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本稿は、中世末期のフィレンツェにおける捨児施設の史料から当時の「捨児」の具体像とこれを通して知ることのできる様々な当時の社会問題を明らかにすることを目的とした研究の第2部である。筆者は、先行研究において、同市のサン=ガルロ病院の事例より、1)14世紀末から15世紀前半にかけて、この病院は病人や貧者そして孤児の収容だけでなく、様々な理由のために親が子供を養育しえなくなった時に一時的に子供を預けることのできる施設として、当時広く活用されていた、2)親が子供を手離す動機には社会階層によって異なった特徴が観察される、3)農民や都市の労働者等の階層のあいだでは、「捨児」は主として貧困や病気、戦争、飢饉等による親の死のために生じた、4)都市の手工業者より上の比較的裕福な階層においては、「捨児」は非嫡出の子供がもたらしうる醜聞を隠匿するためになされる傾向があった、5)当時後者の階層の家庭に普及していた女奴隷schiaveの子供は、とりわけ15世紀中葉頃に数多く施設に見出されるようになってきている等の見解を明らかにした。そして、サン=ガルロ病院の捨児に関するこのような傾向は、フィレンツェ史上初めて専ら捨児のみを収容する施設として1445年1月に創設されたサンタ=マリア=デリ=インノチェンティ捨児養育院Spedale di Santa Maria degli Innocenti(以下、インノチェンティと記す)のケースにおいても該当するのか、という新たな問題提起を行なった。従って、本稿では、はじめに中世の捨児に関して近年相次いで刊行された諸研究を紹介しつつそれらの問題点を指摘した後、先に提起した問題を解明するべく開説後20年間にインノチェンティに入った子供達を研究対象として取りあげたい。
- 1991-10-20