デ・サンクティスの自然主義観
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概要
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ノヴェチェントの文化を背景として、写実主義が自然主義に迄昂まったのは、極く当然な動きであった。自然主義は写実主義を極限に迄発展させたものであったから。勿論イタリアといえども此の思潮の外に孤立することは許されなかった。ヴェリモスは、当初から外国、就中フランスの影響を強く受け、フランスの影響受容者の立場に立たされていた。その原因は、(一)イタリアのヴェリスモ運動には、サント・ブーヴ、テーヌに匹敵する理論家が欠けていたこと、(二)イタリアには、レアリスモ文学の強く深い伝統が存しなかったこと、等に起因しよう。勿論イタリアに全く自然主義文学の流れが無かった訳ではない。ミラノに於ける初期レアリスモ作家達の役割は(Scapigliatura milanese)これにあずかって力あるものであった。振りかえって、フランスをみれば、Bohemesの役割を述べる必要もない程に、その写実主義文学の流れは深い。バルザックの「序文」が出たのは、ゾラの実験小説論に先立つこと四十年であり、そこには根本的な科学方法論や構成上の方法が既に示されていた。ヴェリスモが、フランス自然主義の影響を強く受けるに至った事情は理解されよう。ヴェリスモは、確かに強力な指導者を欠いてはいたが、デ・サンクティスは、この派の数尠い理論家の一人であり、イタリアのサント・ブーヴ、テーヌとも云われる立場にあった。こうは云っても、此の比較類似は、この二派が全く同じ道、即ちデ・サンクティスが、フランス自然主義の模倣又は影響受容にとどまったという訳ではない。むしろ、時としてはフランスの場合とは殆んど対立した関係にさえあった。其の当初は別としても、自然主義理論と現実との乖離を見極め、叙述芸術にとっておこる新たな方向を見極めるに従って自然主義理論を訂正し変化させた結果、殆んど完全に、フランスの影響を脱して、イタリア独自の文学を打ち樹てている。デ・サンクティスの現実に対する観念的主張は、イタリア自然主義の出発点として重要である。註(1)Ludimar Hermann(2)Paul Arrighi: Theonie du Verisme(3)Paul Arrighi: Le Verisme dans la prose narrative italienne Rovani et la premiere Boheme milanaise ミラノ初期レアリストの文学史上の評価は大きく二つに分れている。一つはこの派をロマンティチスモの最後のものとみ、他は、これをもって前期レアリスモ先駆者とみる。(Branca Tamassia Mazzarotto: La Scapigliatura milanese) 《いずれにせよ、この派の役割は結果的には、次に来る、イタリアレアリスモ運動にあずかって力あった事は事実であろう》というPaul Arrighiの考えに同調したい。ちなみに、ミラノの新文学の及ぼした影響は決して尠くないことにも注目したい。ポール・ヴァンチーゲムの比較文学の観点からの言をあげれば、ミラノは常にイタリア革新運動の重要地点であった。 Histoire Litteraire de l'Europe et de l'Amerique depuis la Renaissance a nos jours.
- イタリア学会の論文
- 1955-12-30
著者
関連論文
- I Manifesti romantici del 1816 e gli scritti principali del conciliatore sul Romanticismo Torino, 1950.
- イタリアに於けるバルザックの影響の測定 : 一八三五-一八七五年を中心として
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