ミケーレ・サヴォナローラについて : ブルクハルト的解釈の限界
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概要
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筆者は、先きに発表したいくつかの拙稿においてジロラモ・サヴォナローラ(Giorolamo Savonarola, 1452-98)を論じ、彼の性格と改革運動のうちにみとめられる前近代性を強調し、一部の論者によって主張されるあまりにも近代的な解釈の不当を指摘しておいた。さかのぼってジロラモの祖父ミケーレ・サヴォナローラ(Michele Savonarola, 1385?-1468)をとりあげた本稿もまた、本質的にはそれらと同じ方向を目ざすものであり、ジロラモが十六歳に達するまで、終始直接間接その教育の任にあたり、爾後の彼の生活方向を、ほとんど決定してしまったかのごとき意想外に大きな感化を及ぼしたにも拘らず、由来あまり歴史家の注目をひかなかったミケーレの性格を、幾分でも明確にし、先きのジロラモとその運動の本質的理解に備えようとするものである。かの著名な文化史家ヤコブ・ブルクハルト(Jacob Burckhardt, 1818-97)が、たまたま一八六〇年出版の『イタリアにおけるルネサンスの文化』のなかでミケーレ・サヴォナローラに言及し、彼一流の解釈を施して以来、ミケーレはあたかもルネサンスの先駆者であったかのごとき錯覚を読者に与え、歴史家の究明の手をまぬがれて来たかの感が深い。したがって、われわれとしては、先ず第一に、ブルクハルトのミケーレ解釈の方法とその限界とを検討し、このような錯覚のよって生じたゆえんを明かにしなければならない。(註) (1) 例えば『イタリヤ・ルネサンスとサヴォナローラの運動』(「歴史学研究」第十巻、第十二号)、『サヴォナローラ解釈の基準』(「東京学芸大学研究報告」第三輯)。 (2) Jacob Burckhardt, Die Kultur der Renaissance in Italien(Herausgegeben von W.v.Bode, 1928)以下の引用は本書による。
- イタリア学会の論文
- 1955-12-30