フランチェスコ・レーデイの科学的散文の特徴 : 「バロック」との関係から
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概要
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本論の目的は『昆虫の発生をめぐる実験』を中心としたレーディの科学的散文の性格を「バロック」との関係から位置づけることである。マリーノの有名な「詩人の目的は驚異である/[…]/驚かせる術を知らない者は馬にブラシをかけにでも行けばよい」という発言に代表される「バロック」は、ヨーロッパ諸国のさまざまな芸術領域で17世紀を席巻した表現様式であり、ルネサンスの静的な古典主義的パースペタティヴと際立った対照をなす「動性」をその特性とする。これは、コペルニクス革命をその頂点とする科学の進歩や、新大陸その他への大衆旅によって、人間の世界認識が新たに拡大していくのと平行して起こった、芸術・文化領域での大変動である。ここに、「驚異」をもてはやす文化的風土ができあがる。たとえばイタリアのバロック詩人にとって、新科学の成果であり「新世界」の発見をもたらす道具である望遠鏡や顕微鏡は、彼の想像力を非常に刺激し、「驚異」という彼の目的を養成するために格好の対象となっている。さてレーディであるが、詩のなかに望遠鏡に象徴される科学の成果を取り入れてメタファーとして用いるマリーノやマリーノ派の詩人たちと、彼の科学的散文の位置がまったく異なるのは当然である。科学者としてのレーディは、トスカーナのガリレオ派の一人として、アッカデーミア・デル・チメントにも参加しているのであるから。マガロッティへの書簡のなかで、彼は次のように語っている:「ガリレオは他のいかなる詩よりもアリオストの詩を賞賛した。なぜなら、それは偉大な文学者からも、最下層の愚かな人たちからも、等しい味わいをもって同じように理解されるからである。あなたが明瞭さと明晰さを心がけられんことを」このようにレーディはガリレオから科学の方法論のみにとどまらず、文体の明晰さをもその目標として継承していた。彼の科学的散文が志向するのは、このアリオストに代表される明晰さであり、メタファーやアレゴリーを多用する「バロック」ではもちろんなく、この観点からすれば、彼の立場はあきらかに反バロックと言えるであろう。ところが、この実験・観察・記述を明晰に行なおうというレーディの意志にもかかわらず、彼はやはり「心理的バロックの表出として、彼らの時代のなかに閉じられていた」のであり、「驚異という主題や要素を自然のなかに探し求める傾向がやはりある」のである。まず彼が展開している実験主義的方法論に関する叙述を検討しなければならない。その検討によって、彼がガリレオから継承した方法論を忠実に堅持していること、またその主張の背後には「視覚=限」が支配的な存在としてあることが明らかになるであろう。そして実際に彼の実験・観察とそれらの記述を検討する必要がある。そうすれば彼の実験のうちで果たす「眼」の役割一表現力を支える資質としての「限」と、「驚異」を求める好奇心としての「限」-が規定される。また最終的には、彼の科学的散文が「外形から精神的な態度へ突き抜けた、裏返しのバロック」という側面をも併せ持つことがはっきりするであろう。さらにこの試みは、科学者、医師、文献学者、文学者、詩人といったレーディの多様な側面が、その科学的散文のなかでどのような関係あるいは交渉を持っているのか、という疑問を解決する試みでもある。レーディの科学的散文を「バロック」との関係から考える作業のなかで、「科学」と「文学」がそこでどう関わり合っているのか、という問題にも光があてられよう。
- イタリア学会の論文
- 1989-10-20