イタリアロマネスク教会堂における動物や怪物のモティーフについて
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概要
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イタリアのロマネスクの教会堂については多くの研究が成されてきた。また、その内部や外部を装飾する彫刻についても同様である。しかし、それは主に様式、作者決定、年代決定に関するもの、またはロマネスク彫刻の起源をどこに見いだすかということに集中していた。イタリアの北部、エミリア・ロマーニャ州のモデナ大聖堂は、ロマネスクの代表的な大聖堂で、特にその彫刻装飾が名高いが、それですら例外ではなかった。ドロシー・グラス(Dorothy Glass)が、モデナ大聖堂の彫刻研究の問題点についての論文の中で、モデナ大聖堂についてなされた数多くの研究の中にイコノグラフィーに関するものがほとんど無いことを指摘し、またロマネスクの教会堂の研究は様式的なものだけにとどまらず様々な観点からの研究を総合するようなものであるべきであると主張している。それまではたとえイコノグラフィーの面で何らかの疑問や興味をひかれる点があったとしてもそれらの問題はただ書き留められるのみで、真に発展させられることはあまりなかったのである。しかし、その欠落を埋めてくれるかのような研究論文集が1995年に出発された。これらはモデナ大聖堂の修復終了の機会に行われた展覧会を記念して出されたものである。特に西側正面についてのイコノグラフィー研究や碑文の文字の研究を初め、使用されている石についての調査、修復についてなどの研究を含み、組織的で全体的なアプローチを試みたもので、将来の研究のための非常に有益な道を開くものであろう。もちろん修復によって彫刻の汚れが取り除かれたために初めて各部分の彫刻の解読が可能になったということも重要な要素であり、これから先も色々な教会堂の修復が行われることによって、イコノグラフィー研究もますます発展することが期待される。本稿の狙いは、その今まであまり取り上げられなかった彫刻のイコノグラフィー的研究の中でも、一般的にはさらにマージナルで注目されていない、動物や怪物などのモティーフを取り扱うことである。イタリアのほとんどの地域のロマネスク建築の、ファサードを初めその他の部分にあるポータル、柱頭、アプス、窓枠、屋根を支える持送りなどの多くの建築的要素は彫刻で飾られており、しかもそのうち、動物(想像上のものを含む)や怪物のモティーフの占める割合は非常に大きい。果たしてこれらのモティーフは、彫刻の全体的なイコノグラフィック・プログラムの一環としてとして意味や役割を与えられているものなのか、それともただ装飾的要求からそこに置かれた文様なのであろうか。グラスは、イコノグラフィー研究に必要なのは、この大聖堂の政治的、歴史的位置や、誰がパトロンであったかということに加え、この時代の石工、彫刻家たちの仕事場の組織構造、その仕事方法、さらに当時の僧呂階級の役割などを知ることであると言っている。実際、美術作品のイコノグラフィー的考察にとって誰が注文者であり、どういうものを注文したかということは重要な要素である。注文者が持っている文化的基盤や教養、思想の違いによって、表わされるテーマはもとよりそこに使われるシンボルやアレゴリーは規定されてくる。それはたとえば、注文主が世俗の人間か聖職者かということだけではなく、同じ聖職者同士でも時代によって、派によって、ある教理についての解釈の仕方一つで変わってくるものである。しかしまた、プログラムが実現されるときにどれだけそこに芸術家自身の意思が入り込む余地があったか、ということが知られねばならない。美術作品は注文主のイデアと製作者のイデアとが製作を通してあるフォルムへと結びつけられた、複雑な総合体である。ことにこのような動物や怪物のモティーフなどは、ロマネスク期にはかなり重要な位置を占めていたがゴシック期にはそれがだんだんと周辺へ追いやられてくるというように一般的には中心的な位置に置かれておらず、そういうものについては、かなり彫刻家個人の解釈や創意に委ねられる部分が多かったのではないかとも言われている。しかし、この時代の文献は乏しく、元のプログラムについても、彫刻家のプログラムについても、記述はほとんど無いのである。しかもロマネスクの教会堂の場合、実際に注文をした人と、その作品(教会堂)を使う人は一致しないかもしれないのである。つまり、注文主はある聖職者で、教会堂は民衆のために作られた、と言う場合が考えられるのである。もしも、イコノグフィック・プログラムを注文主の僧侶が作ったとしよう。果たして彫刻家は、それを理解して作ったであろうか、そしてその彫刻を見る民衆はその意図を完全に理解できたであろうか、あるいはそのプログラムは本当に民衆に理解されるように作ってあるのだろうか。
- 1988-10-30