「集」としての「カンツォニエーレ」 : ウンベルト・サバの場合
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概要
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ジュセッペ・ウンガレッティ, エウジェニオ・モンターレとウンベルト・サバが二十世紀前半のイタリアの代表的な詩人であることは今日大方のみとめるところであるが, この三人のうち, 正当な評価がもっとも後れたのがサバである.その理由として従来挙げられてきたのは, 彼の作品の書かれた時期が, イタリアを含む西欧諸国において, 象徴主義あるいはモダニスムの作風が熱狂的に追求され, そのいずれかに属さない作品は無視されぬまでも, 軽んぜられたとするのが通説であった.サバは, 時流に乗らない様式の作品というものが, どれほど正当な同時代の評価を得難いかということの見本のような詩人であるとしばしば評された.この説は, 自分の作品が認められないことの不当性についてのサバ自身の言及によって, 人々の間に浸透した.自分を稀出の天才と評価し, それを認め得ない批評家たちをサバは批判しつづけたが, それはとりもなおさず同時代の作品についての文芸批評の困難さを象徴する一つのエピソードであった.しかし, 5年前に出版されたジョルダーノ・カステッラーニの貴重な研究によって, この伝統的な説にもう一つの光があてられることになった.カステッラーニはそれまでほとんど未刊の状態にあった1921年刊の「カンツォーニエーレ」をその周囲に発見された多くの手稿とともに整理し, それとこれまで一般に信じられていたように, 今日サバの「カンツォニエーレ」として知られる, 1945年以降の諸版とのあいだに横たわる大きな違いに注目して, 「今世紀の初めの二十五年間」にサバが脚光を浴びなかった理由を, 当時のサバの詩自体に帰したのである.すなわち1920年代の評論家・読者の多くは, 今日のかたち, 内容をもつ「カンツォニエーレ」を知らなかった.事実「カンツォニエーレ1921」は, 今日われわれが「カンツォニエーレ」として知っているものに比べて, とくに編集に一貫性が乏しく, 作品自体にも明確な詩学の欠如や, 冗長性が散見され等質性に欠ける.当代一流の詩人の詩集として評価をうけるには, 未完成の要素が多過ぎる.さらに言うと, 今日われわれがサバの詩を(当然のこととして1945年以降のテクストに依って)評価する場合と, 1920年代の評論家が(当時のテクストに従って)評価した場合, 両者は異なったテキストについて語っていたのである.事実サバはPoesie(1911), Coi miei occhi(1912), Canzoniere 1919, Canzoniere 1921, Canzoniere 1943と詩集を編むたびに, 作品に(その配列にも)改訂を加えていたにもかかわらず, そのことをとりたてて公表せず, そればかりか, もとの原稿を紛失したとか, フロイト的な失念だとか, たいして意味のない理由しか提供しなかった.それにもかかわらず, 彼は「ひそかに」それぞれの現段階の好みに従って書きなおしていたのである.このようなわけで, カステッラーニの研究書を繙くものは, 今日「サバの詩学」として知られるものをサバ自身が全面的に把捉したのは, 戦後, 詩人が老年(62歳)に達してから, すくなくとも1945年にエイナウディ出版社から上梓され(1961年の決定版の土台となった)「カンツォニエーレ」を編集した時期のことであるという事実を感慨をもって知るのである.たとえば碩学で知られるジャンフランコ・コンティーニは, 1971年にサバの詩がレオパルディをふくむロマン主義以前のイタリア詩につなげられるべきであって, それ以後のたとえば黄昏派の詩などとは全く関係がないことを強調しているが, カステッラーニによると, かれの初期の作品には, カルドゥッチやダンヌンツィオの影響がみられるという.また, 初期の(未刊の)作品には, 歴然とレオパルディ風が認められるし, 「カンツォニエーレ1919」には, 当時の(パリ経由の)ジャポネスリーの流行に合わせた(ウンガレッティの初期の作品のいくつかと, おそらくは起源を同じくする)「ほとんどニッポン風のインテルメッツォ」(Intermezzo quasi giapponese)という(サバらしくない)題のついた17篇の短詩から成るセクションがあって, サバも当時は時代の流れにまったく無縁でなかったことを証拠づけている.すなわち, コンティーニが上の批評を書いた時点では, サバの, とくに初期の作品の原型が知られていなかったために, 批評家は, 1)サバが1945以降に編集し, 改刪を加えた「カンツォニエーレ」の構成および個々の作品と, 2)サバが書いた自分自身の詩についての一風変った注釈書, 「カンツォニエーレの歴史と年代記」(Storia ecronistoria del Canzoniere, Mondadori, 1948)におけるアポロギアにたよる他なかったのである.本稿は, カステッラーニの研究を出発点として, ウンベルト・サバの作品中, 「カンツォニエーレ1919」「カンツォニエーレ1921」および「カンツォニエーレ1945」に焦点を定め, その間にみられるサバの詩学の発展について検討するものである.サバはこれら以前にも二冊の詩集を出版し
- イタリア学会の論文
- 1986-10-30