ルネサンス期フィレンツェにおける都市住民の宗教的熱狂について :サヴォナローラの宗教運動をめぐって
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概要
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一般に一四九四年のフィレンツェにおける都市住民の宗教的熱狂はサヴォナローラのカリスマ的指導力に依拠するとされている。特に、十一月九日の政変の直前から、フィレンツェの危機を暗示する終末論的説教が毎日のように行なわれ、都市住民は少なからずサヴォナローラに都市の指導的役割を期待するようになっていた。例えば、十一月五日には都市の全権大使の一人としてピサに滞在するフランス王シャルル八世の許に派遣されたり、またフランス軍の入市後もメディチ家復権を要求する国王との交渉を通じて都市の治安保持に尽力するなど、預言者にして神聖な使徒としての名声を博していた。やがて行なわれるフィレンツェの国制改革においても、彼の政治的・社会的権威は、通常の政治的回路の外側からではあるが、確実に発揮されていたのである。 しかしながらこのように、彼のカリスマ的指導性のみに都市住民の宗教的熱狂の原因を求めるだけでは、当然のことながら、宗教運動の研究を単調で味気ないものにしてしまう危険性がある。そこで研究史を整理したうえで、本稿の視点を明確にさせておきたい。 まず、古典的なサヴォナローラ研究の大家、リドルフィR.Ridolfiは、ピアニョーニ的立場、すなわちサヴォナローラ擁護論的立場からそのカリスマ的指導性を過大に評価する余り次のような問題をなおざりにしているように思える。それは、都市住民の宗教的高揚の形成過程及び、宗教運動への人々の能動的な関わり方を如何にして捉えるかという問題である。そこでワインステインD.Weinsteinは、サヴォナローラの個性を充分に評価しつつ、フィレンツェの歴史的コンテクストのなかで宗教運動の特性を捉え直そうと考えたのである。特に、フィレンツェにおける過去の民間伝承・固有の終末論思想・文化的伝統(とりわけ「市民的人文主義」が重要)の系譜を研究の射程に含めて、この宗教運動で果したこれらの民間信仰の役割を重視し、あの宗教的熱狂の深層の部分に「フィレンツェの神話」(ワインステイン)なるものの存在を強調するのである。その基本的な考え方は次のようになろう。つまりサヴォナローラの言動は、変化する政治的・社会的情勢に応じてこの「フィレンツェの神話」のなかから臨機応変に引出されるというものである。しかしながらこれでも宗教的熱狂を生み出す直接的な契機の問題、つまり心理的転換のプロセス、参加・実行のプロセスを充分に明らかにすることはできないであろう。このような困難な問題を少しでも克服するために、トレクスラーR.C.Trexlerは都市の宗教的儀礼の重要性を強調している。彼は、都市の社会的安定期及び危機にみられる儀礼に注目し、その心的態度・行動様式の分析を丹念に行なうことによって、深く人々の感性の問題に肉迫しようとしている。その際、人々に対するその心理的・身体的充足機能という点で、特に危機の時代の儀礼としての行列行進が果す役割を重視するのである。このことに関して、特に行列行進に片寄った重要性を認めることによって、多様な儀礼的生活を一つの表現方法に還元するとして単眼的視点からの研究を危険視するむきもある。 以上のような研究史をふまえて、本稿ではフィレンツェの歴史的コンテクストのなかでサヴォナローラの言動と人々の宗教的熱狂との相関関係を少しでも明らかにしようと考えている。その際、サヴォナローラのカリスマ的と指導性は、深層におけるフィレンツェ固有の民間信仰と、表層における熱狂主義の直接的誘因との接点の部分で発揮される、という基本的考え方に立って考察していきたい。もちろん以下の論考をもってこの考え方が立証されるとは思わないが、このような視点に立って初めて人物指導型の宗教運動観が修正されうると考えるからである。
- イタリア学会の論文
- 1986-03-15