ルネサンス・ヒューマニズム考 : クリステラー、グレイ、ウルマンの説を中心に
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概要
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(I)フマニクス・ヒューマニスト・ヒューマニズム我が国では今世紀に入って定着したように思えるhumanism(umanesimo, Humanismus, humanisme)という用語が生まれて、まだ二百年経っていない。この「若い言葉」(B.Snellの言)はドイツの教育者で哲学者でもあったF.I.Niethammerが、『当世の教育教授論における博愛主義的教育とヒューマニズムの対立』Der Streit des Philanthropinismus und des Humanismus in der Theorie des Erziehungsunterrichts unserer Zeit, 1808で用いたのが普通最初と見なされている。ゲーテ、シラー、ヘーゲル、シェリングの知人・友人であった彼は、この中で古典教育による人間形成が教育課程において有意義であることを明らかにし、ルネサンス以来の古典研究の伝統を弁護した。この背景には中等教育において実科を重視する博愛主義者の主張があった。これに対し彼とその仲間は人間性(Humanitat)の陶冶に云わば人文学は欠かせぬと判断したのである。これが邦語で云う「人文主義」の生まれた消息であるが、ヒューマニズムという表現自体は専門家を除けば、博愛主義・人道主義・人間主義と日本では普通解釈されている場合が多い。これはヒューマニズムの元となった「フマニタス」humanitas(英語のhumanity)に起因しており、必ずし絹誤解とは云えないであろう。W.Jaegerは愛すべき小著の中で「キケロはギリシア人の文化を『ヒューマニティ』と呼ぶ際、博愛philanthropyはギリシア人により正しく認識され、彼らにより創案された言葉であるけれども、博愛とは考えなかった。キケロがその著作の多くの文の中でフマニタスに与える、もっと特殊な意味は教育上の意味である」とし、続けて、この意味でフマニタスがギリシア語のパイデイアに相当すると、アウルス・ゲリウスが述べたのは正しいと云う。イエーガーの云うゲリウスの言葉は、次の通りである。「ラテン語を造り、これを正しく用いる人々はフマニタスを、大衆が考え、ギリシア人によって人間愛(博愛)と呼ばれて、誰彼の区別のない、あらゆる人間に対する如才のなさと好意とを意味することを望まない。そうではなくて大体彼らは、フマニタスでギリシア人がパイデイアと呼ぶ-我々は一般教養の教育と訓練と云っている-もののことを指レている。そこでをれら科目(の修得).を誠実に希望し志す人々こそが、問題なく最も人間的である。何故ならこの学への関心と習得とがあらゆる生き物のうち人間にのみ与えられており、またそれ故にフマニタスと名付けられている。」そして彼はキケロ、ヴァロがこの意味で用いたことは殆ど総ての本が示していると続けている。がフマニタスは、ヴァロは兎も角キケロの場合一義的に教育的意味でのみ使われてはおらず、博愛の意義も見出される。従って遠くフマニタスから派生したヒューマニズムがフランスでは、F.Brunotが云うように一七六五年にamour general de I'Humanite意味で早も現われていたとしても不思議ではない。ゲーテも『詩と真実』(第十三巻、一八一四年刊)の中でこれを人道主義の意味で用いている。ギリシア・ラテンの伝統と直接繋(つな)がらぬ我が国で、ヒューマニズムが博愛主義とか人道主義とかにとちれたのは、従って無理からぬところである。動物から人間を区別する教養としてのフマニタス、そしてそれ故に人間性としての明証であるフマニタスは、中世キリスト教世界では神性(divinitas)と対立し、壊れやすい人性(humanitas caduca)、果無い人性(humanitas caduca)と見られたという指摘がある。「人間の条件(状態)」(conditio hominis, conditio humana)が頼りに云われたのも明確な対立概念があったればこそであろう。が近年、中世をいつ迄とするかによって事は違って来ようが、R.W.southern M.-D.Chenuらによると、十一世紀後半からの中世こそ人間の力、理性の有する能力を高く評価し、かつ信じた時代はないことになる。トマス・アクィナスはその中にあって頂点に立ち、この見地からヒューマニストとすらみなされている。少なくとも今日アルクィンやジョン・オブ・ソールズベリの存在を考えると、誰も中世ヒューマニズムという用語に形容矛盾を覚えることはないであろう。中世は一先ず置き、ルネサンスを問題にする際、ゲリウスの主張とニートハンマーの真具意を無視して、一ヒューマニズムを専ら人間性を重視或いは評価する態度とのみ見なすことは、歴史像を単純明快にはするが、誤ったルネサンス解釈の生じる余地があることを覚悟せねばならない。さてニートハンマー以後、ルネサンスの学者の精神とその在り方にヒューマニズムの適用が一般化した。G.Voigtの『古典古代の復活-ヒューマニズムの最初の世紀』Die Wiederbelebung des Classischen Alterthums oder Das erste Jahrhundert des Humanismus, 1859は、時代概念としてこの表現をルネサンスに用いた古典で、これ以来ルネサ
- 1984-03-15